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 長野県の北部にあり、志賀高原や山ノ内温泉郷等の観光地、リンゴ・ブドウなどの果物畑、自然豊かな高原を自負している山ノ内町の中央公民館です。また、温泉を楽しむニホンザル(スノーモンキー)でも有名になり、外国からのお客様も多くなりました。このブログでは、山ノ内町の公民館活動を始め、伝統文化、行事、人々の営み、文化財、季節、自然などの情報を発信し、故郷山ノ内町を見つめ直したいと思います。   

2011年4月1日金曜日

山ノ内を訪れた文化人「森信三」

山ノ内中学校の校訓「場を清め 時を守り 礼を正す」を残された森信三先生は、教育哲学者として多くの著書を残され、教育界ばかりではなく、経営の根本哲学として大事にされている会社経営者が大勢いらっしゃいます。森先生は山ノ内町の沓野にある旅館に投宿され研修会や執筆活動をされましたが、昨日その旅館「くつの館」を訪ねて森先生のお話をお聞きしたり残された書を見させていただきました。

森先生が沓野館に初めておいでになったのが昭和36年のことだそうです。当時の女将さん「たけさん」は急な来訪と食材も不足していたことで、「大根がいっぱいあったから水団でも作っておくか」と水団を出されたそうです。森先生は大変喜ばれて水団を食べられたそうです。今も森先生に縁のある方や、森先生の足跡を訪ねて来られる方に水団を振る舞っておられるそうです。昨日もわざわざ水団を作って待っていていただきました。

今の女将さんは森先生とは1,2回ほどお会いされたそうですが、ご主人は若いときに何度も会われたそうです。お二人とも「森先生は穏やかな方。姿勢がよくてぴしっとされていた」ご主人は「腰骨を立てなさい」とよく言われたと思い出を話していただきました。

前の女将さんは「私が死んだら命日に出してくれ」と森先生の詠まれた歌の軸を残されています。軸の箱には「森先生 タケ用遺物」とご自身の字で記されていました。昨日もその軸を見せていただきました。(上の写真右の軸)

  • 山深く此処にこもりてかく書のこころに触るる幾人かあらむ
  • これの世のふたたびなしといふことを命に透り知る人すくな
  • みすずかる信濃の宿のひと室に遺書をかくがに書かきくらす

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