森先生が沓野館に初めておいでになったのが昭和36年のことだそうです。当時の女将さん「たけさん」は急な来訪と食材も不足していたことで、「大根がいっぱいあったから水団でも作っておくか」と水団を出されたそうです。森先生は大変喜ばれて水団を食べられたそうです。今も森先生に縁のある方や、森先生の足跡を訪ねて来られる方に水団を振る舞っておられるそうです。昨日もわざわざ水団を作って待っていていただきました。
今の女将さんは森先生とは1,2回ほどお会いされたそうですが、ご主人は若いときに何度も会われたそうです。お二人とも「森先生は穏やかな方。姿勢がよくてぴしっとされていた」ご主人は「腰骨を立てなさい」とよく言われたと思い出を話していただきました。
前の女将さんは「私が死んだら命日に出してくれ」と森先生の詠まれた歌の軸を残されています。軸の箱には「森先生 タケ用遺物」とご自身の字で記されていました。昨日もその軸を見せていただきました。(上の写真右の軸)
- 山深く此処にこもりてかく書のこころに触るる幾人かあらむ
- これの世のふたたびなしといふことを命に透り知る人すくな
- みすずかる信濃の宿のひと室に遺書をかくがに書かきくらす
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