自分の写真
 長野県の北部にあり、志賀高原や山ノ内温泉郷等の観光地、リンゴ・ブドウなどの果物畑、自然豊かな高原を自負している山ノ内町の中央公民館です。また、温泉を楽しむニホンザル(スノーモンキー)でも有名になり、外国からのお客様も多くなりました。このブログでは、山ノ内町の公民館活動を始め、伝統文化、行事、人々の営み、文化財、季節、自然などの情報を発信し、故郷山ノ内町を見つめ直したいと思います。   

2011年2月28日月曜日

長野電鉄特急2100系「スノーモンキー」運行開始


長年親しまれてきた長野電鉄2000系の引退に伴って、2月26日(土)、2100系、愛称「スノーモンキー」が運行を開始しました。
当日は湯田中駅でセレモニーの後、9時50分電子ホーンを鳴らして「スノーモンキー」が湯田中駅に入線しました。列車からは大勢のお客さんが関係者や旅館の女将さんたちに迎えられ、記念品やお土産を受け取られました。その後、湯田中発のスノーモンキーのテープカットが行われ、また大勢の方が乗られました。中には先ほどついたばかりの方も折り返しで乗られる姿もありましたが、その日は一日中乗るという方もいらっしゃったそうです。
10時10分、スノーモンキーは湯田中駅を大勢のお客さんを乗せて出発しました。社内は満員で座れない方もいらっしゃいました。
当日は晴天となり、撮影スポットの夜間瀬川鉄橋や沿線沿いに大勢の鉄道写真ファンが三脚を立てて「スノーモンキー」を撮影する姿が目立ちました。

2011年2月25日金曜日

第12回山ノ内町長寿大学「一絃琴」講話と演奏

2月24日、残すところ後4回になった長寿大学では、小布施町で一絃琴の保存と継承に取り組んでいらっしゃる「逢瀬琴の会」の皆さんに、一絃琴のお話しと演奏をしていただきました。

一絃琴は平安時代の歌人在原行平が須磨(兵庫県)に流された折、須磨の浜に流れ着いた板きれに冠の紐を張って琴を作り弾じたということから「須磨琴」とも呼ばれています。兵庫県では県の重要無形文化財に指定され、保存会が保存継承活動をされています。

小布施町と一絃琴のかかわりは、豪商高井鴻山が32才頃、活文禅師(松代藩士の家に生まれ上田の龍洞院の住職のころ、佐久間象山、高井鴻山の師として指導された)に一絃琴を指導され、禅師の愛用していた一絃琴を譲り受け演奏を楽しんだことから始まっているそうです。現在鴻山記念館に愛用の一絃琴が保存されているそうです。

明治中期から衰えた一絃琴伝統文化の復興、保存をしようと、小布施町では平成元年に「逢瀬琴の会」が発足し活動をしてこられました。

山ノ内町長寿大学には「大正琴」の技能講座がありますが、昨年まで指導をお願いしていた先生が急逝され、指導者を捜していたところ、小布施町で大正琴の演奏活動をされている方が指導をしてくださることになりました。そのご縁がもとで今回の「一絃琴」の伝統文化継承活動の講演と演奏が実現しました。

演奏が終わった後、「一絃琴」を間近に見たりさわったり、音を出したりする時間もとっていただきました。大勢の方が興味を持たれたようでした。

2011年2月24日木曜日

2・23「富士山の日」高井富士を背にリンゴの剪定

2月23日、暖かい日差しが4日続く中、山ノ内町ではリンゴの剪定作業が行われています。

2月23日は「223」の語呂合わせで「富士山の日」ということですが、中央公民館そばのリンゴ畑でも、高社山(別名高井富士)を背に、強い日差しや雪から反射する光がまぶしい中、サングラス姿の農家の方が剪定をされていました。まだ15cmくらい積雪があり、脚立を立てて作業をするときにはしっかり固定しないと危険だということです。

「リンゴ作りも大変ですね」と言いますと、「生きていれば何でも大変さ。うまいリンゴを作って食べてもらうこと、それと少しは稼がねえとな」と笑顔で話してくれました。

2011年2月23日水曜日

北信五岳のパノラマ写真を作ってみました


パノラマ写真を作るため、昔でしたら何枚か横にずらしながら撮影し、カメラ屋さんに引き伸ばしてもらってをつなぎました。でも出来映えは、ずれたりして納得できるものはできませんでした。

最近ではデジタルカメラの普及と画像処理がコンピュータでできるので昔ほど苦労せずにできるようになりました。
先日快晴に日に北信五岳を左の写真のように5枚撮り、パノラマ写真を作ってみました。デジタルカメラについてきたソフトやフリーソフトでつなぎ合わせたものが下の写真です。自動処理ですが拡大してよくよく見ないとつなぎ目が分からないくらいです。

中央公民館ロビー展示用にワープロソフトの垂れ幕印刷で印刷しようとしましたが、貼り付けの段階で「メモリー不足」のエラーが出てしまいました。画像の容量が大きすぎたようです。縮小しての印刷は荒くなるのでそのままできないかとインターネットの検索でフリーソフトを探したところ英語版ですが紹介されていましたので使ってみました。英語に苦労しましたが何とか印刷でき、展示することができました。コンピュータの進歩、フリーソフトの充実は本当にすごいものがあります。ありがたいことです。

※2月23日は「富士山の日」・・・・妙高山は別名「越後富士」、黒姫山は「信濃富士」と呼ばれています。

2011年2月22日火曜日

蟻川図書館のコブシ冬芽

蟻川図書館の庭に「コブシ」の木があります。毎年白い花が本格的な春を告げてくれています。2月21日、青空が広がり高社山が蟻川図書館からくっきりと見えました。その青空に毛皮のコートにおおわれた「コブシ」の冬芽が浮かんでいました。

冬期間の植物観察は花や葉もなくて、その時期ではないと思われがちですが、冬期間には冬芽や葉痕の観察が面白いと思います。冬芽や葉痕をじっと見ていると人の顔などに見えきます。春先の野山で観察をしてみると面白いと思います。

中央公民館では3月6日(日)に志賀高原でかんじきツアーを行いますが、いろいろな冬芽や葉痕に出会えると思います。

2011年2月21日月曜日

第11回長寿大学「自分らしく高齢期を生きる」

2月17日(木)第11回山ノ内町長寿大学が開催されました。今回は、「自分らしく高齢期を生きる」と題して、NPO法人ライフデザインセンター理事小川和子さんから講演をしていただきました。

小川さんはケアマネージャーとしてご活躍もされていて、様々な事例をもとにしながら高齢期に自分の人生設計をいかにするか、生まれたからには最期を迎えなくてはならないが、どのように準備をしておいたらよいかなどについてお話しをしていただきました。受講者の皆さんは、うなづいたりメモをとったりしながら真剣に聞いておられました。

お話しの中から、「遺言は老化する前に残す事が大事。財産についてばかりではなく自分の生き様や家族への思いなど伝えたいことを書いて残したい」「生きた証を残したい」「最期に『ありがとう』の言葉を残せるか」というお話しが心に残りました。

2011年2月18日金曜日

明日は”雨水” 春の足音も聞こえてくるような・・・


天気予報によれば今日は雨。予報通り朝から雨が降りましたが雪に変わってしまいました。明日19日は二十四節気の”雨水”です。陽気が暖かくなり空から降ってくるものも雪から雨に変わる時季という事です。
つい先日は大雪でしたが、2月16日は快晴、午後月齢13の月が東の空に大きく浮かんで見えました。
夜、外に出てみると軒先のつららの向こうに月が輝き、月の光でつららが光って見えました。つららからは水滴がポツンポツンと落ちていました。寒い寒いといっても、つららからの水滴はあたたかくなったという事を知らせてくれているようです。雪の下には「ふきのとう」が春を待っている・・・そんな季節です。

2011年2月17日木曜日

久しぶりにすっきりと晴れました

「春も名のみの風の寒さや」と唱歌「早春賦」にありますが、その歌詞のように一昨日の朝はこの冬一番の積雪ではないかというほどの朝でした。

今度の雪は湿った雪で長野県では「上雪(かみゆき)」と呼ばれている雪でした。上雪とは、通常は北信(長野県北部)に降る雪に対して、長野県の中部や南部を中心に降る春先の雪をそう呼んでいます。湿った雪で除雪も大変になり、交通渋滞や交通事故が多くなります。今回の上雪でも木曽地方を走る国道19号線が渋滞になったり、高速道路でも事故が多発したそうです。
山ノ内町でも30cmほどの積雪があり朝早くから除雪車が走っていました。おかげで通勤時間にはすっかり除雪が終わり車の通行もスムーズでした。中央公民館の駐車場では除雪で高くなった雪の山を片付ける作業で一日がかりでした。

昨日は朝から快晴。気持ちよい青空が広がりました。リンゴ畑に積もった雪がキラキラと輝いていました。近づいてよく見ると雪の結晶がガラスの破片のように立って朝日にキラキラと輝いています。高社山中腹に雲がたなびき素晴らしい景色となりました。志賀高原も青空にくっきりと見えました。きっと大勢のスキーヤーの皆さんがスキーを楽しんでいらっしゃると思います。こんな日に横手山山頂では富士山も遠くに見えるのではないかと思います。
高社山麓から志賀高原方向を望む(2/16)


2011年2月16日水曜日

西部公民館「歴史学習会」が開催されました

2月13日(日)の午後、西部公民館主催の歴史学習会が「よませふれあいセンター」で開催されました。

この会は今年で3年目、西部公民館が郷土の歴史を学習して自分たちの住んでいる地域を知ってもらいたいという願いで開催されています。今回も「よまぜ郷土史研究会」の皆さんに江戸時代の古文書、安永2年「信濃国高井郡夜間瀬村指出書上帳」をもとにして、安永2年の夜間瀬村の概要を話していただきました。

講義の後の懇親会では、江戸時代の人々の暮らし、楽しみは何だったのかなど話に花が咲きました。

2011年2月15日火曜日

長野電鉄2000系Aの最後を見届けるファン


2月11日(金)湿った雪が降る中、2月12日で引退する長野電鉄2000系A編成の最後の姿をカメラに納めようとするファンが沿線の撮影ポイントに大勢見えました。特に信濃竹原・夜間瀬間にかかる鉄橋には、雪の降る中、ファンや報道機関の皆さんがカメラを構えていました。

2000系A編成の車両は、1957年2月に運行を開始し54年間、通勤通学や観光客を運び続けたそうです。長年走り続けたため傷みも多くなり引退ということだそうです。この車両は長野電鉄オリジナルの車両ということでも。多くの鉄道ファンに親しまれてきたそうです。

この日関西から電車を乗り継いで見えた方は「晴れていると高社山や妙高山が見えていいのですが・・・」と残念がっておられましたが、高社山や妙高山という名前まで知っておられてびっくりしました。

この2000系が引退した後、旧成田エクスプレスの車両が愛称「スノーモンキー号」として運行される予定ですが、運行開始日には多くの鉄道写真ファンが駆けつけるのではないかと思います。

2011年2月14日月曜日

「かんじきツアー」の参加募集

昨年のかんじきツアー(岩菅山付近)
中央公民館主催の「かんじきツアー」参加者を募集しています。
昨年は、岩菅山でかんじきツアーを実施しました。快晴の中”かんじき”を履いて林間を散策し好評でした。
今年は、横手山山頂から鉢山までのツアーを計画しました。

  1. 期日 3月6日(日)
  2. 集合 山ノ内町中央公民館 
  3. 出発 午前7時30分 町バス乗車
  4. 費用 2000円(保険代込み)
  5. 定員 30名
  6. 申し込み 2月25日(火)までに、中央公民館(電話33-1120 有線7752)にご連絡ください。締切前でも定員になり次第締め切らせていただきます。

長寿大学・・・落語を楽しみました。


第10回長寿大学では、中野落語研究会のお二人に落語を演じていただきました。

一席目は、飲々亭冷奴(のみのみてい ひややっこ)さん。お題は「代書屋」という落語でした。まくらでは最近の病院の様子を面白くお話しされ、本題では代書屋と依頼主のおもしろおかしい掛け合いの噺にホール内は引き込まれ、大きな笑いが響きました。

二席目は、理髪屋文正(りはつやぶんしょう)さん。お題は「死神」でした。三両の借金の工面に駆け回るが、どうしても工面できない。そこに以前助けられた死神が姿を現します。その死神から命を助けることができる呪文を教えてもらい、占い医者になった主人公が繰り広げる滑稽な話です。最後は、自分の命のろうそくをくしゃみをして自分で消してしまうという落ちの落語でした。

昔はラジオやテレビなどで落語を聞く機会が結構あったのですが、最近は少なくなりました。お笑いも今や漫才などがメディアで取り上げられることが多くなりましたが、日本の古典芸能である落語の中にある笑いや人情噺を大事にしたいなと思いました。

2011年2月10日木曜日

生涯学習フェスティバルのお知らせ

山ノ内町中央公民館では、毎年3月に「生涯学習フェスティバル」を開催しています・このフェスティバルでは、体験コーナーを設けて楽しい体験をしていただき文化の輪を広げたいと考えています。また山ノ内町の食文化を味わうコーナー、山ノ内町の歴史を学ぶコーナーなどで山ノ内町の魅力を知っていただくことも計画しています。

今年は、「マイ・コカリナを作ろう」「木工ろくろ細工」「押し花アート」「手づくりおもちゃ&竹細工体験」「折り紙教室」「そば打ち体験」「おやき作り」「パステル画」「フラワーアレンジメント」「花びんに花を飾ろう」「エコクラフト」「楽しく絵手紙をかこう」「かんじき作り」「土人形絵付け」「ジルバを踊ろうよ」と15の体験コーナーを設けます。

申し込みは町中央公民館(電話33-1120 有線7752)までお願いします。なお体験コーナーは定員になり次第、締め切らせていただきます。

詳しくは本日から町内各戸配布に配布されるチラシをご覧ください。

2011年2月9日水曜日

「こびれ」で”こねつけ”をいただきました


地域の方から「こねつけ」を作っていただきました。
こねつけ」は、おやきと並んで長野県の「粉物文化」の代表的な食べ物です。。小腹が空いたとき、余りご飯と小麦粉を使って簡単にできる”こびれ”です

写真の中に黒く焦げ付いたものがあります。これは、焼くときに中に入れた砂糖味噌が飛び出して焦げてしまったものだそうです。作ってくださった方は、砂糖味噌をわざわざ中に入れてくださいましたが、作るとき大変だっただろうなと思います。中に入れないで外側に砂糖味噌を付ける「こねつけ」もあります。とても美味しくいただきました。

昔はどの家でも”こびれ”で作って田んぼや畑に持って行ってお茶を飲んだりしたものだそうです。伝統的な「こびれ」を子どもたちにも食べさせてやりたいなと思います。

「こねつけ」の作り方は、インターネットにたくさん出ていますので参考にして作ってみてください。

※”こびれ”はこのあたりの方言で「おやつ」という意味です。「小昼(こびる)」が訛って「こびれ」となったようです。おやつより少しおなかにたまるおやつという感じです。

2011年2月8日火曜日

兎(干支)の折り紙をいただきました。

渋温泉の西澤寅蔵さんから今年の干支兎の折り紙作品をいただきました。(写真中央)金と赤が裏表となった折り紙で兎が表現されています。西澤さんの話ですと、折った人によって兎の表情が微妙に変わるのが面白いということです。

西澤さんは、1998年冬季長野オリンピックの招致活動で折り紙を各国に贈られたそうです。そして折り紙ギャラリーも開設されたそうです。折り紙ギャラリーには西澤さんの折り紙の作品が所狭しと展示されています。ホームページも開設されています。
http://www.torazo.net/hishiya-p/origaminoie.htm

3月5日(土)中央公民館で「生涯学習フェスティバル」を開催します。その中で西澤さんに折り紙体験コーナーをお願いしてあります。兎の折り紙も体験できますので是非おいでください。

2011年2月7日月曜日

2月のロビー展示(竹細工・書道)


中央公民館2月のロビー展示は「須賀川竹細工振興会」と「星川書道教室」の皆さんの作品です。

須賀川竹細工振興会は、長野県の伝統工芸品にも指定されている竹細工を伝えようと活動されています。中央公民館でも竹細工教室を開催され多くの皆さんが竹細工を習っています。

星川書道教室の皆さんは、星川の公会堂で月2回ほど集まって活動されているそうです。最初は大勢おられた会員も少なくなってきているということです。今回漢詩を題材にした作品を展示されています。インターネットで調べてみましたら写真右から2番目「開門雪満山」は唐時代の詩人王維の詩です。また5番目は「急雪舞廻風」は、杜甫の漢詩「対雪」の中にある事が分かりましたが、下の写真の作品については研究中です。

2011年2月4日金曜日

立春の日、上林不動尊の千駄焼きが行われました。


2月4日(金)、立春のこの日、山ノ内町の祭りの中でも、湯加持(ゆかじ)や千駄焼きの行で有名な「上林不動尊」千駄焼きが行われました。この祭りは寒明けを告げる春祭りで御獄教中正講社の行者さんが中心となって行われます。起源は万延元年(1860年)頃といわれています。

当日午後1時、渋温泉の行者宿を出発し、猿田彦の命が前立ちとなって、上林までのまでの所々に張られた注連縄を刀で切りながら進みました。不動尊に到着した後、いよいよ湯加持、そしてクライマックスの千駄焼きとなりました。素足の行者さんがさっきまで赤々と燃えていた炭の上を素足で歩く火渡りの行となります。

たくさんの参拝者、そしてこの祭をカメラにおさめようとするカメラマン、報道関係の方でにぎわいました。中には地獄谷のスノーモンキーを見ての帰りに、幸運にも通りかかった外国の方もいて興味深げに見学していました。

2011年2月3日木曜日

童謡唱歌を歌う会・・・歌い継ぎたい童謡唱歌

「きょうはたのしいひなまつり~♪♪」
中央公民館軽運動室から歌声が聞こえてきました。「山ノ内町童謡・唱歌を歌う会」の皆さんの歌声です。
昨年11月までピアノ伴奏をしていただいた中嶋さんが結婚されて伴奏をする時間がなくなり存続が危ぶまれていました。一時は「もう解散するしかないね。」という声もあったのですが、町内の上田さんから伴奏をしていただけるようになりメンバーの皆さんもホッとして大喜びです。長年継続してきたサークルが存続でき公民館職員もホッとしました。

ところで、歌われていた”ひなまつり”の歌は正しくは「うれしいひな祭り」です。小さい頃、学校でも良く歌ったものです。童謡や唱歌の中に心の故郷が残っています。子どもたちにも歌いつないでほしいなと思うのです。

2011年2月2日水曜日

大寒の中、心温まる電話の応対「和顔愛語」


昨日、今日と冷え込みが厳しい朝となりました。降り続いた雪もおさまり高社山や北信五岳がくっきりと青い空に浮かぶ朝となりました。

明日は節分、そして4日は立春です。雪片付けに疲れ春を待ち望む挨拶が多くもなりましたが、まだまだ春への道のりは遠いです。

そんな大寒の朝ですが、昨日、とても心がふとまる方言・・・温かくなる)体験をしました。それは、山ノ内町にある団体事務所にお聞きしたいことがあって電話をした時のことです。

「はい、お電話ありがとうございます。○○です。」と明るくさわやかな女性の声が返ってきました。そして質問に「では調べて折り返しお電話させていただきますがよろしいでしょうか」「私、○○と申します。しばらくお待ちください。」そして、しばらくしての「お待たせいたしました。先ほどお電話いただいた○○です。」・・・回答の電話もとても気持ちのいい対応でした。電話の向こうに対応してくださる方の笑顔と誠実さが伝わってきてとても心が温まりました。まさに「和顔愛語」だなと思いました。

私たちもこの方のような心温まる応対をしていかなければいけないな、そういう応対が心をつなぎ人を幸せにし自分も幸せになるのだなと改めて思わされた電話となりました。

山ノ内町では「こころのふとまる物語」を2月15日まで募集しています。詳しくは下のURLをクリックしてください。
http://www.town.yamanouchi.nagano.jp/nofutomaru/nofutomaru/

2011年2月1日火曜日

葛飾北斎の句碑(渋温泉)

湯田中温泉には小林一茶が逗留し、温泉街に一茶の句碑が建てられていることは前にこのブログで紹介しましたが、渋温泉には葛飾北斎の川柳の句碑がたくさん建てられています。

石畳の温泉街を歩くと、外湯が目につきますが、旅館の植え込みなどに大理石の句碑がたくさん建てられている事にも気がつきます。この句碑は信州小布施に滞在し、浮世絵はもとより岩松院の大本堂天井絵「八方睨み鳳凰図でも有名な葛飾北斎の川柳です。

渋温泉街には187の北斎の川柳句碑が点在しています。187句の内訳は、江戸時代の川柳句集「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」の中から卍北斎の句、182句と北斎没年までの五句ということです。
北斎が渋温泉を訪れたかどうかは文書に残っている訳ではなく、「高井鴻山が北斎を案内して来たのさ。」という口伝はあるということです。信州小布施に滞在したのですから、渋温泉を訪れ湯治をしたのではないかと想像することもできます。
187の句碑を巡るには時間がかかります。ましてや句を味わいながら巡るには相当時間がかかりますが解説本(北斎は川柳も詠んでいた)を参考にして巡ってみたいと思っています。

参考文献(「北斎は川柳も詠んでいた」「謎解き北斎川柳」 宿六心配著)※渋温泉旅館組合で購入)(「志賀高原を訪れた文化人」山ノ内町中央公民館編)